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モヤさまの西武新宿線回楽しい



時代の空気について考えてみたきっかけがこれ
ライヴストリーミングの広がりが持つインパクト

そしてこのpostを見て
「『聖☆お兄さん』は90年代後半に夢見られていたフリーターの共同生活そのものだ。ワンルームに暮らし、変なシャツを着て、日がな一日しゃべり続け、退屈しない程度に悩み、いざというときは天上界=親元に帰れる。それは神々の幸福な遊戯だ。遊戯だった。」
「読んだことはないけれど、表紙から察するに、中村光の『荒川アンダーブリッジ』も、そういう「慎ましくもご機嫌な貧乏生活」の挿話集なのだろう。たぶん。それはおそらく八十年代半ば生まれにとっての「遠き理想郷」の風景だ。」
「なぜ「慎ましくもご機嫌な貧乏生活」が「遠き理想郷」となりうるのか? いろいろな答えがあると思う。しかし、それらの答えに納得するにはとりあえず90年代末のやってられない感を知る必要がある。具体的には『リリィ・シュシュのすべて』を観る必要がある。」


空気・空気・空気

その時代の空気

その時代の空気を後から知るのは不可能なんじゃ、と最近思う
時代の空気っていうのは、知識として知ることはできても、なんとなく言葉にはできても、その時代に体感できなければ自分の言葉とか考えいを生むバックボーンには成り得ないんじゃないかなと


リンクたどれなかったけど「例えば日本で生まれ育った人が西洋文明が私の基礎を作りました!って言ってもそりゃ説得力に欠ける」っていうpostもそう


一番上に貼った動画「空想X」を見つけた時も、エヴァとは何だったのか?を辿っていった時に「あれはとても90年代的な作品だった」「90年代の空気とは、こういう感じだった」の一例で出てきたのがきっかけ

90年代、ジャスト生きてたし、リリィ・シュシュ高野健一も見てみてなんとなくわかるっぽいようなそうでないようなあいまいな感じなんだけど、いまいち自分でこれが90年代だった!っていう言葉にできない

90年代には幼すぎたせいかな、それともあまりにも当たり前すぎるからかな。あと10年位したら輪郭位は見えてくるんだろうか

生きてた90年代でこうなんだから、バブルがどうのと言われても、もはやフィクションの世界の話に聞こえる

わからなすぎて、でもその時代に生きてた人にはその出来事がその人の価値観の元になってるるわけで、だから年代の違う人を理解するにはその人のいた時代のことを知らないといけないわけで


一番わからない安保闘争時代のことを知りたくて「ANPO」を観に行ったりもしたけれど
映像で見ても、インタビューを聞いても、やっぱり知ることはできてもわかることはできなかった
国会のまわりを埋め尽くしてみんな笑顔ででぐるぐる回ってる映像がわからなすぎて衝撃的だった
ほんとにこれはお祭りだったんだな、ということはわかったけれど
「こんな映画は見ちゃいけない!-ANPO」
お祭りを知らない人が神輿同士がぶつかるお祭り映像を見たらこんな印象なんじゃないかな


きっとこういう年代の差、環境の差が積もり積もって対立とか不理解、価値観の違いの原因になってしまうんだろうな


合コンやってみたいとか、クラブ行ってみたいとかよく口にするのも、今が違和感なくそれをできる年齢だからという理由がけっこう大部分を占めてる
「若者のやる合コン」「朝までクラブで遊ぶ」っていう体験をしておきたい
それは10年後20年後に「あーあの時ああいう事やったよねー」っていう誰かとの共通項を作るためでもある

Ustを知ったのも、「ライヴストリーミングの広がりが持つインパクト」で書かれてるように
okadadaさんのDJ中継で何千人が同時に部屋で熱狂!っていう事態を見てだったなぁ
http://tofubeats.blog107.fc2.com/blog-entry-235.html
http://www.alphalabel.net/internet/famous-twitter-at-dj-okadada-live.html
今の時代の空気はたぶんこんな感じ


せめて生きてる間は、時代の空気を知っとくために今面白い場所、今共有されてること、今熱い事に積極的に関わるのはとてもいい事だと思う
変にマイナー志向になって、メジャーなことはよくわからないとかかっこつけるより、ちょっとでも他者への理解の広い人のが好きだわ