そうさ ぼくらはエイリアンズ

星野源キリンジをカラオケした回のラジオ電波を真空管に詰めて永遠にとっておきたい。




楽しいことが多くて生き延びるのが楽しい。

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夜は短し歩けよ乙女を見てきました。
情報が公開された時に、私は上映開始まで何が何でも生きなければならないと思いました。
無事に生き延びて映画を見た今としては、感謝という言葉しかない…


前提として
私は森見スキーである(森見さんの既刊は全部読んでいる。宵山万華鏡なんとかして映像化されませんか)
湯浅監督は日本アニメーションの宝だと思ってる
星野源が大好きです(SAKEROCKと私と予備校との関係を語ったら一言で済まない)
昔のアジカンも今のアジカンも大好き(今のアジカンのライブすごいぞ)
神谷浩史、好きです(会社の人のすすめでラジオ全500回を踏破してたら好きになった)


好きな人しかいない、そんなものが目の前にある幸せと言ったら!
会社帰りに一人で見に行って、ニヤニヤしながら涙を浮かべてたのは私です。


残念なのは来場者特典の森見さんの短編小説が手に入れれなかった事…
森見さん及び関係者にチャリンチャリン入る感じで、なんとか入手経路が開かれる事を望みます。(転売ヤーは滅せよ)


偽電気ブランを飲みに行きたいよ!


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モアナ見てきました。


見てる間中「今とんでもないもの見てる…」という気分でいっぱいでした。


ディズニーとかの向こうの怖いところは、一回作ったものを捨てないでちゃんとアップデートしてくるところだと思う。
前編ほぼ水が写ります、だけでも怖いのに、「水」が「演技」しますってほんと…まじ…技術の限界に挑戦してくる…

水とか煙みたいなものって3Dの得意分野でもあり、すごくめんどくさい分野でもあり、
うまく見せるには莫大なトライアンドエラーと半端ない計算が必要なんだけど、
それを娯楽の為にこれでもかってくらい大盤振る舞いしてくる度量!


見る前は水どうするんじゃいって事に意識がいってたけど、
見てる最中はライトも髪も筋肉もすごいぞこれっていうことばっかり考えてた。


◆ライト
技術力が高まると、技術に振り回されず「やりたいこと」「見せたいもの」の為に技術を使う事ができる。

晴れの時は影を青く?できる!


曇りも夕方も自由


髪の毛の透過も自由


◆広角気味のカメラ最高
高速で進む船を画面INからOUTまで見せる?できる!
それをカメラでなめてかつキャラにアクションさせる?できる!
その船団を引きで見せる(水面付き)?できる!


◆素晴らしきBlue&Orange


この前群馬の地下洞窟にいったんだけど、ほんとにこんなライトしてた


こういう時にこういう画をみたいな…けど作るのめんどくさいな…っていう画を惜しみなく見せてくる
そういうごまかさない所がストレスを感じないところだなと。


あと髪の毛がすごくて、基本ずっと風をうけてふよふよ動いてるし、信じられないのが動く度に顔の前にバサッと髪が出てきて、
それをキャラがうっとおしそうに払うっていうアクションが何回も出て来る事。
信じられん。考えられん。どうなってるの?
髪とか服のアニメーションを、日本では「揺れ物」、英語では「TD」(キャラに関するのはCharacter TD)って言うんだけど、
さすが海外はTDのみのスタッフが何人も投下されてるだけある。。。
簡単に言うと髪の毛の動きだけをつける専属の人がいるってこと。


髪の毛なんて動かすのめちゃんこめんどくさくて、所謂TVアニメだとあんまり動かないようになってたり(ハードスプレーで固めた塊が動いてるような感じの見た目)
まして顔の前に根本から持ってくるなんてできないような作りになってるのが現状だと思うんだけど、
そんなのものともせず自在に動く髪の毛よ…しかもそれが濡れたりするんだ、なんだあれすごい


あとやばいと思ったのがこのベタな2Dアニメと混ぜてるカットで

これって実写にCGを合成してるのとほぼ同じ見た目をしてる。
リアルなライティングのキャラと、別次元の2Dアニメーションの合成。
これが「リアルなライティングのキャラ」って見えてしまうのがもうすごくて、
ここまで来ると 実写と2Dの合成/3DCGと2Dの合成 の違いってもう無いよねっていう。
少なくとも技術的には同じことをしてる。


日本のアニメCGは2.5次元としてリミテッドアニメ寄りの3D(セルルックな3D)を目指すのがスタンダードになってるけど、
3Dを2Dに寄せる2.5Dと
3Dを実写に寄せる2.5Dディズニーと
ハッキリ方向性として分かれたなっていうのを思い知った。


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ストーリー的にもこりゃやばいと思ったのが、ついにアニミズムを彼らは理解したのではないか、っていう事。
よく神話で言う「神の足跡から島ができて〜」とか「神の体の一部が動物となり〜」って、字面で考えたらどんだけ巨人なの神?ってなるんだけど、
アニミズム圏の住人はなんとなくそういうもんかっていう感覚で受け入れていると思うのね。


それを言葉通りに、かつものすごくわかりやすく画に起こすことについに成功したなっていうのを見せつけられた。


神は大地と生き物を創るもの/魂は生まれ変わること/荒神と和御魂は同一なこと/一族の血と記憶を受け継ぐということ/
そういうアニミズム的スピリチュアル感覚を、割合正しく理解して、しかもちゃんと娯楽としてストーリーを作ることができて、
それって凄いことじゃない?と思った。


ただそれを語る際に「南方のオリエンタルな民族」っていうモチーフを選ばなければならないのが彼らの限界でもあって、
自分たち自身でそれを語れるこの国の民族はとても良い強みを持っているのでは、とも思った。


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ディズニー映画がまだプリンセスシリーズを作り続ける事がなんでだろって疑問だったんだけど、
ここ何作か見てきて思い当たった。
彼らは「プリンセス物」っていう「テンプレ」をモチーフに「本当の自分とは何か」っていうストーリーをずっと展開し続けてるなって。


「本当の自分とは何か」っていう問いがずっとあって(それが彼の国のトレンドなのかもしれない)、そこにプリンセスものっていうお約束をかぶせると、
「常識や偏見(=プリンセス)という殻を自ら破って本当の自分を探す物語」ができあがる。


そういう意味で「プリンセス物」っていうのはとても使い勝手が良くて、古典としてみんなの中にテンプレが染み込んでるから、
「みんなご存知の白雪姫ですが〜」っていう枕詞として使うことができる。たらちねたらちね。


ここ数年日本で「ドラクエRPGモチーフの作品」が流行ってるのに似てる。ヨシヒコとかダンジョン飯とかなろうの転生ものとか

これはRPGに触れた世代が大多数になって、「RPGといったらこれ」っていうテンプレ共通認識ができあがったから成立する話達。

設定を逆手に取って、本当は見えないところがこうなっていましたとか、設定を逆手にとってあえてこうするとかっていう話の膨らませ方が似てる。



なんとなくこの流れで行くと、数年後には「プリンス物」が流行るんじゃないかな。
プリンセスはフェミニズムの流れもあってだいぶ充実してきたと思うんだけど、プリンスはまだ捨て置かれてるような気がしてる。
(フェミニズムについて書くと長いのでまだ書かない。私の思うフェミニズムは、それぞれがそれぞれで在るだけで善とする、
そう思えない価値観からの脱却的なことかなって思うんだけど、まだまだその話についての争いは尽きないよね…ヌードになったらフェミニズムでないとか、
美人だからフェミニズムでないとか。)

最近のプリンセスってめっちゃ強いし、このモアナとか超強い女の子でほぼ一人で戦ってるんだけど、今までの王子様(アニメ、実写問わず)って割りと狂言回し的な役目が多くて、
いい人だけど頼りないか、残るは腐れ外道かド阿呆か、そうでなければ腐れ外道でありかつド阿呆なキャラで、内面が描かれる事ってなかったなと。


最近ネットでも流行ってた弱者男性の話があって、最近はフェミニズム的な話があると大体コメントに「そんなら男も救ってくれよ」っていうコメントが目につくようになってきたなと。
大体が「そんならこっちに頼らず自分で語りなさいよ」ってバッサリな流れになってるみたいだけど、今まで口を噤んでた層が「救ってくれよ」って口に出すようになっただけでも一歩進んでるんじゃんと思いまして。


あと何年かしたら、それに応えて「人はいかにして生きるべきか(ver.王子様)」っていう話が流行るんじゃないかなー
それはフェミニズム的な道筋である「もう一人の自分を見つける」事になるのか、「本当にやりたいことを成し遂げる為に力を学ぶ」事になるのか、
「恋愛ではなく仕事を自分の力として走る」事になるのか、また違った答えが出るのかわからないけど。

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飲み会後のお酒が飲み足りなくて、近所のバーで夜は短しよろしくタリスカーアブサンとマリエンホーフを飲んできました。
大変に気分が良いのでこの後布団に突っ込みます。