なお溷六と書くと、泥酔状態にある酔っ払いのことを指す別の言葉にもなる




今年の長岡花火の中継をキャプったもの。
画面の向こうの故郷はきれいでした。

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三三九度―日本的契約の民俗誌

三三九度―日本的契約の民俗誌

「三三九度」を読みましたのでメモ

『式三献とは、古く、古く、祝儀の時の基本的な酒肴の献立をいった。
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一献ごとに膳組をかえる。新しい膳に新しい盃、それに肴一品、酒も新しくかえる。
これが、献立の本義にほかならない。それをまず三献、公式な酒席はそこからはじまったのである。
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それが、のちに会席膳として大衆化されると後退する。かろうじて、先付けとか八寸とかいわれる肴組にその名残りがみられるだけになる。それも、その肴と盃だけで本膳とは別の膳組をなす例は少ない。そして、三献も死語と化し、「かけつけ三杯」なる俗語を伝えるだけになった。』


『とくに、明治以降は「乾杯」が習慣化したところで、乾杯をもって礼講に代えることになった。』


『斗酒も辞さず。かつて、それを美徳とする習慣が、たしかにあった。とくに、目上の人からすすめられた酒はめったに断るものではない、とした。
俺の酒が飲めないのか、と強要されることもしばしばあった。
それは、酒がハレの馳走であり、カミと共飲するものである、としてきたからだ。』


直会とは、一般的には神前に供えた神饌をおろして参列者が相嘗する、その行事をいう。それを「直会」と表記しだしたときから「直る」意味にとらえられがちだが、本意は「嘗」にある。新嘗祭とか大嘗祭とかいう祭典が伝わっていることからも想定ができるように、嘗リアイが語源である。ナムリアイがナオライに訛った、とするのがよい。』


『日本人のカミ信仰のなかには、二つの源流がある、と民族学的には解釈する。そのひとつは自然信仰(アミニズム)。もうひとつは、祖霊信仰(ヘリテイズム)。両方ともが仏教の伝来、神道の形成以前から日本列島に自然発生していた信仰のかたちである。それは、のちに仏教のなかにも神道のなかにもとりいれられた。つまり、仏教では西方万物を、神道では八百万の神を信仰の対象とし、その中心的な教義に産土信仰をおく。
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私ども日本人の無意識のなかのよりどころは、「神さま仏さま、ご先祖さま」にあったのだ。』


『あちらの世界はご先祖さまがよしなにつないでくれる、ともした。
したがって、ご先祖さまに近い老人たちを「生見玉(生御魂)」として、ボン・正月に手土産をもって慰問する習俗も発達させたのだ。ご先祖さまが神仏を、生見玉がご先祖さまのおもりをしてくれているからこそ、私どもは日々を、無関心を装って過ごせているのである。』


直会の酒は、むろんカミに供えたものを下げる。そのカミとは、特定できる場合もあるが、古くたどれば「八百万」の神々。あるいは、先述もしたように「神さま仏さまご先祖さま」。その後に連なるのは、当然ながら長老たちなのである。
神仏への奉仕をご先祖さまが行い、ご先祖へのもてなしを長老が行う。文律にはないが、私どもの内ではそれをもっともおさまりのよい構図としてきた。ゆえに、若いものは、そうした儀礼的な場所ではけっして上座へ着することをしなかったのである。そして、何かにつけて着席をゆずりあう習慣も、それにちなんだことだったのだ。さらにありていにいうと、上座は、あの世に近いところであるゆえに年長者にゆずるのだ。簡単に封建制とかたづけることにゆかない文化事象だった、と思うのである。』


『ようすのわかった人は、酌を受ける前に、ポンと拍手をひとつ打ってから盃を手に持つ。神道儀礼の作法であり、カミを招きカミを鎮める、その意にほかならない。
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たとえば食事の前に手をあわせて神仏に共食を謝す、その作法などと合わせて考えてみると、もとより自然発生的な行為、とみることもできよう。
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拍手をひとつ打つにしろ二つ、四つ打つにしろ、あるいはただ両手をあわせるにしろ、そこにカミを招魂して崇まうことに意義がある、としなくてはならないのである。』


伊勢神宮だけにかぎらない。しかるべき神社にしかるべき作法で寄進や奉納を行った時、必ずといってよいほど神酒を授かるのであり、あわせて盃も授かるはずなのである。カミに祈願し、カミとの約束ごとがなった、その記念品とみれば、きわめて当然のことでもあるのだ。
この盃を「宮笥(みやげ)」のひとつとする。
宮笥とは、神社が授ける器の意である。宮笥には大別して二通りがあって、ひとつは御札の箱。転じて、御札そのものをそういうこともある。そして、もうひとつが神酒の器であり、さらに限れば盃のことなのである。
宮笥は、持ち帰って、そこに行かなかった郎党や家族に披露すべきものである。つまり、たしかに参拝した、たしかに祈祷をしてたしかに神酒を受けたという「しるし」である。』


『土産の語源もこの宮笥に求められる。本来、宮笥をもってカミと約したおかげのしるしとすべきを、門前に売る土産品をもって代用とする。江戸の中・後期に伊勢神宮に代表される寺社詣での旅が隆盛をきわめた。とくにイエやムラを代表するかたちの寺社詣での旅(代参)が発達したところでは、家族や近隣に万遍なく配分できるみやげが求められることになった。』


『折しも江戸前期から中期にかけては、各地方で檀寺・檀家組織が進み、過去帳も整備され、仏式の葬送が一般化したころである。各家にも仏壇が普及する、ちょうどそのころである。抹香や線香の需要が急増シタトコロデ、ヤシが扱う主要商品が香具類となった、という推測は許されるであろう。そして、そのとき、野士、あるいは薬具師が香具師という表記になった、とみるのも妥当だろう。』

同じ上座でも日本と西洋じゃ成り立ちがちがうと。
あと昔の酒って、どぶろくみたいなものだから何升もぐいぐいいけたのでは?

日本では古来より、収穫された米を神に捧げる際に、このどぶろくを作って供えることで、来期の豊穣を祈願する伝統を残す地域があり、この風習は現代でも日本各地のどぶろく祭等により伝えられている。このため宗教的行事におけるどぶろくの製造と飲用は、濁酒の製造免許を受ければ製造可能である(酒税は課税され、各種の申告義務を課される)となる。この場合、神社の境内等の一定の敷地内で飲用するものとする。


お酒(あえて日本酒とは言わない)杯で飲みたい!!