その体勢だと、腰いくね

引用:団長ブログ


スコップしてきたことについて



ほぼ日にもスコップ団の事が連載されてる
こういうの、ほぼ日の役割としてさすがだと思う。
広めるの、大事だからねって言ってたから。
東京なら東京でこそ出来ることがある。
広報とか、資金集めとか、デモとか。


私が行った日の記録は団長ブログに載ってます
2011/9/4の記事


オレンジのタオルを巻いてるのが私。
写真で見るとすごくぼっちに見える!
そんなことないよ
みなさん話しかけてくれました


残念ながら腕力もない私が行ってどうするとも思ったけど、
その分募金だ!とも思ってたけど、
例えば私が5千円募金したとして、5千円分の泥がパッと消えてくれるわけじゃなくて、
その分を誰かがずっと片付けてる
じゃあ自分の手でやるぜ、と思って行って来た。


夜行バスで行って(安い方使って全然寝れなくて後悔した。次は最低でもWILLER以上のに乗る)
山元町役場からタクシーで駅まで向かった

町は一見普通でした
ただタクシーの運転手さんが「ここまで水が来てねー」と言ってる辺りから全部無人の家になってた
どの家の一階も全部ブログにある写真みたいになってた
窓ガラスのない窓からカーテンがはためいてる家が多かった

過疎してるんじゃなくて、その辺一帯人が住んでなかった

運転手さんに聞いて知ったんだけど、庭の木だったであろう松とか杉が塩害で赤く立ち枯れてた。それを聞いてからブログの写真を見直してたら、どの現場でも赤い木が写ってる。みんな立ち枯れてたんだ。


現場はとにかく物を運ぶのに徹した。
最初は戸惑ったんだけど、ポジション的に出されたものを受け取って運ぶのが効率がよさそうだったから。
スコップ自体はあんまり握ってないね。
そのかわり草はものすごく抜きまくった。


私はその家で何があったのかは知らない。
ずっと本を運んだり、着物を運んだり、カバンを運んだり、詰替洗剤を運んだり
全部いらないってことで全部置き場所に積み上げていくんだけど、
ありとあらゆる普通の家の中身まるごと廃棄の山になってく


写真は一枚も撮らなかった
ストレンジャーの私が誰かの家をパシャパシャ撮るなんてできない
誰かの町をパシャパシャ撮るなんてできない
見世物になる為にあの町はあんなことになったんじゃない
車も、路駐になっちゃいけないって事で脇道に停めたり
運び出しの途中で道路に落ちた泥も綺麗にしたり
ほとんど誰もいない町だけど、ちゃんとそれまで通りの町と同じようにみなさんは暮らしてる
だから、観光地じゃない


その家で何があったのかは知らないけど、
おそらくその家の人なんだろう女の人が、作業中にお茶をたくさん差し入れてくれて、
すごい悔しかった


そんな気遣ってくれなくてもいいのに
そのお茶を買うお金で、カーテンの一枚でも買う資金に回して欲しい
さっきまで、丁寧に紙に包まれて保管されてただろうコップとか食器セットとか記念食器とかを
せっかくの包装紙をバリバリにやぶいて
綺麗なままなのに廃棄の山に山ほど捨ててたのは私です


なんだか


そんなお茶とかもらっていいような立場じゃない気がして
とてもありがたく頂いたけど。喉乾いてたからすごいありがたかった。
あーでもなんか
あー

私の捨てた食器の一枚でもいいから取り戻して欲しい
あー


お礼を言われるような立場じゃないっていう言葉の意味がよくわかった


お昼ごはん食べてる時に周りを眺めてたら、田んぼに何かがパラパラまんべんなく落ちてた。
全部ポーチとか、雑貨とかだった。
海は見えなかったけど遠くに見える雑木林の向こうから波の音がずっと聞こえてた気がする
気のせいかもしれないけど


帰ってきてからグーグルマップでその日いた場所を見たら、全然見通しがきかない住宅街だった。
妙に見通しが良かったのは、それだけ何かが流されてたんだって帰ってきてから気づいた。
草を抜きまくって更地にしたところも、本当は綺麗に庭があったんだとか
あの辺は空き地じゃなくて家があったんだとか
あー


東京にいてニュースの文章だけ読んでるとこの世の終わりみたいな感じがするけど、実際そんなことない
まだなんにも終わってない
上手く言葉にできないけど、こっちと同じ時間だけ向こうも時間は流れてる。当たり前だけど。普通に現実。現実に町があるだけ。
仙台駅前だって綺麗だった。新宿みたい。みんなおシャレ。セールとかやってる。
ニュースがその場のそういう感覚は伝えないって事を知ってる。


自立しない被災者、とか、豪華な生活を送る避難民、とかニュースで書いたりしてるけど(これ書いた会社のニュース記事もう一生読まない)
家がこんなになるくらい辛い思いしたんだから
この先10年位は王侯貴族並の豪華な生活を送ってくれていいじゃないかと思う。
贅沢にどんどん甘えてくれればいいのに


被災してなお辛抱強い人たち、とか、辛い目にあったのにこんなに優しい人達、すごい!感動した!みたいな言葉も散々見かけたけど
辛いって声も上げさせず我慢させてるのは誰だよっていうのをね
同じ人間なのに勝手に聖人に祀り上げてみんな優しい人だから!って押し付けるのは、すごく勝手すぎる。小説じゃないんだから。


あの日を忘れないとか言う前に行って綺麗にしてくればいい
忘れる忘れないの前にまだ始まっても終わってもない場所がたくさんある


あの辺の家、全部綺麗にしたいな
一軒だけ綺麗にしても、周り何百メートル無人の町、じゃあ住めないと思う。
町全体に人が戻れるような所までやって、やっと次は復興の段階に行けると思う。
次は10月に行く。