その頃には知識の有効期限は切れている


筋蒔きのために実家に帰省しております。


土詰め、筋蒔き、田植え、稲刈り、自分の生まれる前からずっと続いてる事なのでその為に帰るのも当たり前という感覚。


でもやっぱりそろそろキツイらしい。祖父祖母が取り仕切ってやってるんだけれども、もう年なのと、家族が東京に出て行って人手が足りないから。
子供の事から兄妹3人で誰が家継ぐよ、お前継げよいやお前が、って言う話は冗談半分でしていたのだけど、上下二人の状況を見るにいよいよ自分にお鉢が回ってきたかんじ。
自分の状況的にも、無理して東京に居る絶対的な理由、なくなってきたしね。
高校の友人たちが揃って新潟帰ったから、前より全然疎外感も無くなってきたし。


前は想像できなかったけれど、新潟での暮らしがなんとなく想像できるようになってきた
働いて、たまに友人のいる銀行行ってだべったり、たまに友人のいる市役所に行ってだべったり、結婚して子供ができたら友人のいる小学校にあがって、日曜に長岡あたりでだべったり、それはそれで平穏で幸せな毎日なんだろうなと。想像できるだけ、昔よりは進歩した。その事だけは、がんばったなぁと思う。


でも実際家を継ぐと言ってもどうするよ、っていう


土の配合も知らないし、トラクターにもコンバインにも乗った事ない。30kgの米袋すら一人で持てない。(80歳の祖父は軽々と担げるのに)そもそも自分の家の田んぼがどこにあるのかも知らない。

共同でやってる農作業自体が、男中心の社会で、自分一人で継ぐなんてできそうもない。
自分にできるのは、事務でもなんでも家から通える職場を見つけて、農作業してくれる夫を見つけること位。


でもそんなのって
どうなのよ


それで現状維持できたとしても、今のままの米作の保護がいつまで続くかわからないし、もし自分の代では続けたとして自分の子供には継がせるのか?とか
自分自身、お米を作るのはやめたくないけど、今やりたいことを止めてまでやりたいことなのか、とか


誰かが「東京は憎しみが無いといられない街だ」って言ってた通り、地元への反発とか、過去の自分への反発が無いといられない土地だなぁとつくづく思うんだ。そしてその反発する理由が、友人がみんな戻ったことでひとつ消えそう。

魚喃キリコストロベリーショートケイクスの292ページ読む度に心がえぐられる。初めて読んだ時にこれはまずい、と思って、でも手放せなくて、結局引っ越しの時にも持ってきてしまった。


生まれ故郷に、ずるりずるりと引っ張られている気がする。


なんとかしなきゃいけない事だから、なんとかしなきゃいけない時が来たらなんとかする、じゃだめかな
甘いかな