だけど、ぼくの祖父母も遠慮してるくらいなのに

もういよいよ胎を決めようと思って、その前に甘いものでもと思って、
そういえば白桃ピーチパフェ一回食べてみたいって思って、
ミニストップでぐぐって出た白桃ピーチパフェの紹介文にひっかかった

農園の皆さんの愛情がたっぷり注がれた白桃達。出荷の時は思わず笑顔に。

http://www.ministop.co.jp/ministopfan/parfait/09peche.html

写真付きだとさらに違和感倍増


この部分を載せた製作者は
「仕事でピーチパフェ宣伝する文を作らなきゃいけない、宣伝だからイメージ悪いことは書けない、だからここはお決まりの生産者の顔と喜びの声を載っけて、こんなに純朴で善い農園の人が作った桃なんです!って書いとけばまぁ悪いイメージはしないし、農園のおじさんもタバコ臭くて短気で別に無農薬とかこだわらないただ仕事で桃作ってるだけのおっさんだけどまぁ笑顔にしとけばいい人そうに見えてわかりゃしないし」
って思いながら作ってて

ミニストップのサイトを見た人も
「笑顔でいい人そうなおじさんが作ってるって書いてあるけど、この写真の人だけが作ってるわけじゃないし、生産地が日本かどうか書いて無いし、そもそも日本で生産した桃だけじゃ十分な供給は無理そうな気がするし、収穫した桃も結局その後機械的にむかれて材料として各ミニストップに配送されるだけの事だし、生産者がみんなカンブリア宮殿に出てきてもおかしくなういような情熱と愛情を持っているとは全然まったく思わないし農業=純ではないって知ってるけど、この文に書いてあるからそう思って欲しくて書いてるんだし、まぁどこかにそういう人もいないとは言い切れないぐらいに思っておきますか」
とか考え

写真の笑顔の人も
「別に桃に惚れ込んでるとか、自分の人生桃しかないとか思ってないし、ましてやこの桃を食べる人なんてイメージも沸かないし消費者の健康とか幸せのために最高の桃を作って届けたいとか全然考えて無いし、つうか考えてる暇ないし、たまたま農園があって生活できるくらい稼げるから桃作ってるだけだし、出荷のたびに笑顔になるような暇無いし、生きるための糧であって情熱的な仕事なんかじゃ全然ないし、どうせ買い叩かれるし、でもまぁそんなこと言ったらイメージ悪くて売れないかもしれないから笑っときますか農業ってだけでイメージ的にきれいだしね」
とか考えながら桃かかえて笑顔で写真に写り、

結果「ミニストップの白桃ピーチパフェを美味しく食べてもらう為に桃を作るのが生きがいの純朴な農家のおじさん」なんてのは実在しないのに、しないってわかった上でみんなで予定調和的に「そういうきれいな世界がどこかにあるんですっていうことにしておかないとね」って幽霊みたいな存在を作り上げる気持ち悪い文になってる


だから文を書いたは読む側を非常に見くびって書いてる気がする
これを読んで「まぁなんて愛情たっぷりの桃なのかしら」とか思う人っているのだろうか。
書くほうも、そんなこと素直に思う人なんていないのわかっててでも書かなきゃいけないって、何なんだろ

もしも、
「桃作りに愛情をかけている素朴な農家のおじさん」と
「その農家の愛情に心打たれ一人でも多くの人に知って欲しくて紹介文を書くライター」と
「その文章を読んで農家の人の優しさを感じそれを提供してくれるミニストップに感動する消費者」
が本当にいてこういうことになってるんだったら、
なんだか自分が非常にいたたまれない。

で、結果もやっとしてピーチパフェを買いにいく気が失せた。
もしかしたら今後買いたくなってもこういうことが頭をよぎってもう一生買えないかも。

気まぐれにサイトなんて見るんじゃなかった。。。